最初に両親に買ってもらったのは、エレクトーンでした。
大卒の初任給が4万円ぐらいだったころの話。
当時一番下のランクのエレクトーン。
それでも当時の大卒初任給の5か月分の給料に当たるぐらいの値段でした。
習い始めて一年もしないうちに
「上のグレード試験を受けるのには、この機種では無理だよ」
と言われて、上のランクのエレクトーンを買いなおすことになりました。
最初に買ってもらったエレクトーンの3倍の値段でした。
たくさんのレバーやボタンがあって、音色もいろいろあって、リズムの種類も多くて、あちこちいじるのが楽しくて、おもちゃで遊ぶようにして練習しました。
それから2~3年したころ
「えみちゃん、ピアノを習ってみたら?」
「音楽やるならピアノが基本だよ」
と先生に言われ、エレクトーンを習いながら、別な先生にピアノも習うことになりました。
ピアノを習い始めて1年。
「ピアノじゃないと練習にならないよ」
今度はピアノを買うことになりました。
最初のエレクトーンを一年もしないうちに買い直した経験から、両親はこのあと、娘がどんなに上達しても買い直しをしなくてすむようにと、セミコン(小さなコンサート会場なら使える大きさのグランドピアノ)と呼ばれるピアノを買いました。
高級車が一台ポンと買えるような金額でした。
すごいお金持ちの家に育ったように思われるかもしれません。
でも父は地元企業の車の整備士。
普通のサラリーマンでした。
母も小さな会社の事務の仕事をしていました。
決して特別に裕福な家庭だったわけではありません。
ごくごく普通のサラリーマン世帯です。
母がやりくりしてくれたのだと思います。
両親は、私が寝た後に、ピアノを買うことについて相談していました。
たまたまトイレで目が覚めて、廊下を通るときに二人の話が聞こえました。
ずいぶん遅い時間でした。
音楽の道に進むことが決まっていたわけでもない、当時まだ小学生の娘にグランドピアノ。
両親もさぞかし決心が要ったことでしょう。
父はどうせ買うなら良いものを、という考えの人でした。
安物買いの銭失い。
よくそう言っていました。
それもあったのだと思います。
間もなくして、家にはどーんとでっかいグランドピアノ、ヤマハのC7がやってきました。
嬉しくて嬉しくて。
搬入の時の、部屋の窓をはずして、大の大人が何人もで運び入れる光景。
今でも目に焼き付いています。
両親が与えてくれたのは楽器だけではありませんでした。
「このコンサート、聴きにいくといいよ」
と勧められればチケットを買い
「このコンクール、出てみたら?」
と勧められれば申し込みを
「○○の講座があるよ」
と勧められれば、通わせてもらいました。
郡山から仙台まで、半年間、日曜の休みに高速を飛ばし、一日かけて送り迎えをしてくれたこともあります。
楽譜も必要なだけ買ってもらいました。
こうして両親が私に環境を与えてくれたおかげで、私は今、教室のみんなにピアノを教えることができるようになりました。
親とは有り難いものですね。
父は亡くなりましたが、父が私に与えてくれたものは、たくさん私の中に残っています。
今、生徒さんたちを見るときに
「なんと幸せな子どもたち」
と思うことがよくあります。
当時の私ですね。
与えてもらった環境は、当時の私にとっては当たり前だったけれど、今考えると全然当たり前のことではなかった。
教室に通う生徒さんが、それに気づくのはいつでしょう。
きっと自分が子供を持つようになった時、なんでしょうね。
両親に買ってもらったピアノは、やがて年をとってボロボロになりました。
処分して新しいピアノを買おうかとも思いましたが、どうしても処分する決心がつかず、何年か前に調律師さんにお願いしてオーバーホールしてもらいました。
それが、今教室にあるグランドピアノ。
父の形見になりました。
だいぶ昔の「じょうずになあれ♪」にも書いた話です。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
でも最近生徒さんを見ていて、子どもの頃の自分と重なることが多くて
また書いてしまいました。