北海道旅行 最終話

さてさて北海道旅行の話の続き。

長くなっておりますが、今日で最終話です。

よかったらもうちょっとだけお付き合いくださいませ。

 

北海道。

着いたその日の深夜に北海道胆振東部地震。

せっかく来たのに早々に仙台に帰ることになった。

 

予約した新潟行きのフェリーが小樽港を出るのは夕方の5時。

その日の昼間は堺町商店街に行ってみた。

 

 

一瞬にしてブラックアウトの北海道。

商店街はほとんどシャッターが閉まっていたのだけれど、そんな中、暗い店の中で頑張って営業しているお店も何軒かあったのよね。

入れたのはこちらの昆布屋さん。

「お父さん預ります」の看板がユニークな「利尻屋みのや」さん。

 

おもしろネーミングの商品がたくさん。


 

そして下の写真はお寿司屋さん。

観光客向けに炊き出しをやっていた。

 

「食べてって~」

「奥で休んでって~」

と、ひとり1個ずつのちっちゃなおにぎりと、海鮮丼。

 

この海鮮の味噌汁がね、すごいのなんの。

もう今まで食べたことのない豪華な味噌汁。

 

カニに海老にウニにほっき貝、あとあわびも入ってたかな。

あったかい味噌汁とにぎりたての白いおにぎりはめっちゃおいしかった。

 

味噌汁は確かにおいしかったんだけど、

 

なんか

 

自分が大変な時に他人のために働く人の姿を見て、じーん。

余計においしく感じたのかもね。

 

3.11のときの、他県からの災害救助の車や、たくさんのボランティア、自分の家のことは後回しにして避難所で一生懸命動いていた小学校のPTAの役員さんたちの姿。

そんなのと重なっちゃって。

仙台はライフラインが復旧するまで、本当に色んな人に助けてもらったなぁ。

 

こんなにおいしい味噌汁、もう食べることはできないかもよ。

小樽、来てよかった!

 

ほんわか幸せな気分になって、お礼を言って店を出ようとすると

 

「小樽、嫌いにならないでね!」

と店のおじさん。

 

そう、ここは根っからの観光の町なんだね。

自分のことより、まず観光客。

 

おじさん、ありがとう!

さてさて、このあと北一硝子のお店に寄って薄暗い中買い物をし、フェリー乗り場へ。

あいかわらずロビーは北海道を脱出しようとする人であふれていた。

 

停電なので、照明はない。

窓のないトイレは恐ろしいほど真っ暗で、スマホの懐中電灯が役に立った。

そして、ひとりひとりバケツに水を汲んで流さないといけなかった。

電気ってありがたいねぇ。

 

 

そしてやっとやっとフェリー乗船。

 

隣のベッドの人は岐阜県の人だった。

札幌に行っていたらしい。

彼女が泊まったホテルは全ての機能がストップし、ホテル側から出るように促されたそうだ。

たまたま知り合いがいて、そこに泊めてもらったそうだが、知り合いがいなければ避難所だったと話していた。

 

私たちが泊まった小樽のホテルは2晩とも、とても快適だった。

彼女の話を聞いていると、自分たちが本当に運が良かったことがわかった。

ラッキーだったんだなぁ。

 

さて新潟着。

そこからがまたひと騒動。

 

旅行はJRの大人の休日クラブ、新幹線も在来線も5日間乗り放題の切符で来ていた。

まだ一日分は電車が乗り放題。指定席も取れる。

前の日に3パターンを考えた。

 

①妹と母は在来線で郡山にそのまま帰る。私はそのまま郡山から新幹線で仙台へ。

②上越新幹線で東京に向かって、途中長野で軽井沢とか温泉地に立ち寄って、観光してから帰る。

 ③山形に北上して、クラゲで有名な加茂水族館に行って、湯の浜温泉一泊して帰る。

 

で、迷った末③を選んじゃった私たち。

 

新潟の駅で湯の浜温泉へ向かう切符を買うことに。

 

すると、ここもまた長蛇の列なのよね(泣)

フェリーに乗ってた人がみんなここに来たんだろうか。

北海道を脱出してもまた列に並ぶのね。

とほほ。

 

私が列に並ぶ間、妹は母のスーツケースと、小樽で買って何やかんや増えていた荷物を宅急便で自宅に送るために店を探した。

 

話しは変わるけど、夫が転勤族だったため、20年ほど前に新潟に住んでいたことがあった。

新潟駅ってこんなに小さな駅だったろうか。

駅の中に宅急便を出せる店はなかった。

 

妹は仕方なく駅から一番近い郵便局をスマホで探し、母と一緒に荷物を出しに行った。

 

やっと指定席の切符を買った私。

妹と母はなかなか戻ってこなかった。

 

電車の時間が近づいてきてやきもきしていると、出発の5分前に二人が駅に戻ってきた。

ぎりぎり間に合った!

セーフ!

 

と、そこで母の一言

 

「トイレに行きたいんだけど・・・」

 

どひゃ~~

 

新潟の駅に洋式のトイレはない。

(いや、本当はあったのだけれど、あせっていて目にはいらなかっただけ)

 

ひざを手術している母は和式のトイレは使えない。

しかも、つえをついて歩くくらいだから速くは歩けない。

 

駅を出てトイレを探さないと。

でも、もう出発まで5分だよ?

 

あぁぁ・・・(泣)

 

もう万事休す。

せっかく並んで指定席とったのに(泣)

とほほ。

 

こうして妹と母はトイレを探しにもう一度駅を出て、私はもう一度指定券を買うためにみどりの窓口の列に並んだ。

 

でもね、湯の浜温泉は、えらく交通の便の悪い田舎にあるのです。

次の電車は2時間後(泣)。

 

まぁ、そんなこと言ってもしょうがないね。

もう旅館もとっちゃったし。

 

駅に戻ってきた母がひとこと。

 

「ごめん」

 

いや、しかたないよ。

 

もうお昼。

疲れてて食べるのは何でも良かった。

 

とにかく歩かなくていいところで食べよう。

ということで駅の中の店で、何か食べた。(でも何を食べたのか、ここもまたよく覚えていない)

 

さぁ、そろそろ電車の時間だねということでお会計をすませて改札の前へ。

 

すると

 

う…

 

う…

 

う…

 

おなかが… 痛い(涙)

 

え~~~?!!

 

なんと今度は私がダンピング!(胃切除後の後遺症)

 

うそでしょー??!

 

 

なんてタイミング(泣・泣)

 

そこからトイレまでの道のりの長いこと!

 

なんで新潟駅は、すみっこ~~~の方にトイレがあるの!

おなかが痛くて走れない(泣)

 

電車、間にあう!?

 

で、トイレを出たのは発車の数分前。

 

改札まで、そしてホームまで、走った走った。必死で走りました。

 

これで乗り遅れたら、今日中に湯の浜温泉までたどりつけないかもしれない。

なにせほんとうに田舎だからね。

JRを降りてから宿までは路線バスで一時間。

このバスが一日ほんの何本かしかない。

 

なんか、生きた心地がしなかったわ。

 

でもなんとか、ぎりぎりセーフ!

 

はぁ…

 

 

 

このあと、湯の浜温泉に泊まって翌日の加茂水族館までは、ずっと雨と風の荒れた天気。

 

温泉の旅館もクラゲの水族館も普通の時に来てたらすごく癒されたんだろうけど

この時はもう半分くらい早く帰って休みたかった、というのが本当のところ。

 

はぁ。一生の思い出になる北海道旅行でした。

 

 

最後に。

 

昨日のテレビ。

今北海道は観光客が激減して大変なことになっているらしい。

政府は北海道復興支援で、ホテルなどの宿泊費の半額を補助の策を打ちだした。

 

小樽は電気が通ってしまえば、あとは生活や観光に支障はないはず。

 

海の幸はもとより、六花亭や北菓楼のお菓子にルタオのチーズケーキなどおいしいものがたくさんあるし、北一硝子を代表とするガラス細工は繊細で美しく、見ていて飽きない。

そして街全体が楽しくて美しくて、運河なんか情緒たっぷりだしね。

で、何より人が優しい。

 

少し足をのばせばNHKの朝ドラの舞台になった余市、ニッカのウイスキー蒸留所やワイナリーもあるし。(実はワイナリー、すごく楽しみにしていたのです)


この秋どなたか旅行に行かれる方がいたら是非この機会に北海道に。

 

私も小樽の方々を応援できるなら、もう一度行ってみたいなぁ。

できることなら…と思うのでした。

 

 

さてさて、長いこと、私ごとにお付き合いいただきましてありがとうございました!

 

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そして本当に最後になりましたが

 

私たち観光客は家に帰れば普通の日常に戻れますが、残る被災地の皆さんは今なお大変な生活を続けておられることと思います。

 

亡くなった方へのお悔やみを申し上げると共に、一日も早い被災地の復興を、心よりお祈り申し上げます。