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続 北海道旅行

北海道旅行。

1日目の話はこちらから。

 

小樽。

シーンと静まり返った深夜のホテル。

ケータイからの地震を知らせる警報音は、心臓に悪いよ。

 

でも、3.11の東日本大震災の揺れに比べたら全然なんてことはなかった。

小樽の地盤は岩盤らしく、震度は4。

揺れをたくさん経験しているので、震度3かなって思うくらいだった。

 

ただ、震源地の震度は6強の発表。(のちに震度7に修正)

 

わわわ、大きいじゃないの! 

 

「津波!! 津波大丈夫?!」

ホテルは海岸からすぐだった。

3.11の時の津波の映像が頭に浮かんで震えが来そうだった。

 

でも間もなく、津波の心配はないことがわかって、ほっ。

 

ラインで家族に無事を知らせる。

3.11の時、通信が途絶え、無事を知らせることも安否を尋ねることもできなかったのを思い出し、とりあえずは家族に無事を知らせることに。

夜中だから、誰も返事をよこさなかったけどね。

 

市内全域は一瞬にして停電になった。

が、私たちが宿泊したホテルは非常用電源に切り替わったようだった。

テレビはつかなくなり、バスルームの照明は落ち、トイレの水も流れなくなっていたけど、ベッドルームだけは明るかった。

明りがあるということは、それだけでありがたい。

そのおかげで、必要以上に不安にならずに済んだ。

 

カーテンをあけると信号も消えていた。

そのうち消防車のサイレンの音。

火事だった。

 

サイレン以外の音がきこえない街の中が、すごく不気味だった。

 

福島に住み「原発が爆発するかも」「県外に脱出しなくては」という経験をもつ妹は、何より泊原発を気にしていた。

 

経験の差だよね。私は津波は心配したけど、原発のことなんか全く頭に浮かばなかったもの。

 

 

しばらく地震に関する情報を得ようとスマホを開いていたが、もう少し時間が経って明るくならないと、被害の状況は見えてこないだろうということで、もう一度眠りにつくことに。

 

2時間ぐらいは寝たのかな。 

 

目覚めると、ホテルの中は何事もなかったかのように普通。

いつの間にか非常用電源から自家発電に切り替わったらしく

テレビがつくようになっていた。

被害の状況が刻一刻と報道され、北海道内がかなり深刻なことになっているのがわかった。

 

小樽にもう一泊し、明日は洞爺湖に行く予定だった。

でもこれから先はどうしようか。

JRは運休、新千歳もがたがたで飛行機は飛ばないらしい。テレビを見ながら妹と色々話しながら、「とりあえずご飯食べよう」ということになり朝食会場へ。

 

ここで初めて家族から「余震に気をつけて!」とライン。

 

なんだか震災じゃないみたい。

ビュッフェ会場には、地元でしか食べられないようなメニューがたくさん並び、温かいものは温かく、冷たいものは冷たいまま提供された。海の幸やら、地場産の野菜やら本当においしかった。

自家発電があるとはいえ、停電の中これだけの料理を用意するのはだっただろうなぁ。

 

従業員の対応も落ち着いていて素晴らしかった。

今度また小樽に行くことがあったら絶対にここ、オーセントホテルに泊まろうと思う。

 

そしてこのビュッフェ会場で、たまたま坐った席のお陰で、次の日避難所へ行かなくて済むことになったのだけれど、その時はそんなことは知る由もなく。

 

食事をしながら海の方に目をやると、一隻のフェリーが入ってくるのが見えた。

 

「ん! フェリー!!」

 

てっきり仙台↔苫小牧のフェリーが苫小牧に入れずに小樽に来たのかと思った。

が、それは新潟と小樽を結ぶフェリーだった。

 

フェリーっていう手があるじゃないの!

 

この時海が見える席に座っていなかったら、フェリーで帰るという手は頭に浮かばなかったろう。

 

切符買えるかな。

洞爺湖に行くことを完全にあきらめたわけではなかったけれど、とりあえずはフェリー乗り場に行ってみることにした。

 

食事を終え、立体駐車場からレンタカーを出した。

自家発電がなかったら、車も出せなかっただろう。

なんていいホテルだ。

 

ホテルの前のコンビニで何か食料を買えないかと思ったが、レジが使えないので休むと貼り紙。

 

フェリー乗り場に着くと、すでに切符を買うための行列ができていた。

 

ここで、妹は食料を買ってガソリンを入れるために外に出た。

 

私は切符を買う列に並び、自分の番。

その日夕方発の便は最後の1席しか残っておらず、3人分必要なら明日ですねと窓口の人。

言われる通り翌日夕方5時の便を予約。

 

これでとりあえず新潟経由で帰ることはできそうだ。

 

洞爺湖のホテルに電話すると、停電で通常通りの対応はできないけれども、それをご理解いただけるのであれば受け入れは可能とのことだった。

 

でも車での移動、道路の状況がわからない。

がけ崩れがあちこちで起こっているようだったし、どうしたらいいんだろう。

この時は、まだ洞爺湖に行こうかフェリーに乗って帰ろうか迷っていた。

 

しばらくして妹が、制限いっぱいの10リットルだけガソリンを入れ、途中のコンビニで少しだけ食料を買って戻ってきた。

もうすでに食事になりそうなものはなく、お菓子などを買ってきた。

パンなどはなかったそうだ。

 

ホテルに帰る途中、また行列するコンビニをみつけた。

そこにもまた並んで、今度はカップラーメンやカロリーメイトを買った。

 

ホテルのレストランは昼食と夕食は用意できないとのことだった。

食材が入ってこないのだろう。

でも自家発電が2~3日は大丈夫ということで、部屋のポットでお湯を湧かせるから、カップラーメンで充分だ。

今日の昼から明日のフェリーに乗るまでの4食×3人分のカップ麺とペットボトルの水やお茶はすごい量だった。

 

3.11とすっかり一緒。

あの時と違うのは季節。

気温が全く違う。

 

何をするのもラクだった。

いちど震災を経験しているので、次にどんなことが起こるのかもだいたい予測できて、色々な事への対応が早くできて、それもラッキーだった。

 

~続く~